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「歌姫」中森明菜

 「歌姫」という言葉、いつ頃から使われ始めたのでしょうか。最近、ぽっと出の大したことない歌手にも使われているような気がしてなりません。


若い時はいろいろ話題に事欠くことが無かった中森明菜、最近は活動が落ち着いてしまった感じでファンはちょっとさびしい感じですが、もっとも「歌姫」という冠が似合う歌手だと思います。


中森明菜は
1965年7月13日東京都清瀬市で生まれ。
身長は160cm、
血液型はA型。
学歴は大東学園高等学校〜明治大学付属中野高等学校夜間部を中退。現在は歌手、女優として活躍しています。


芸能界入りのきっかけは1981年、日本テレビの人気番組「スター誕生!」でグランドチャンピオンになったことです。最終審査で審査員が全員合格点の70点以上を付ける中、一人か作曲家の中村泰士が99点を付けた話今でもが語り草になっていますが、審査員の中で一番見る目があったということでしょうね。


1982年に「スローモーション」でデビューしました。当時のキャッチフレーズは「ちょっとエッチなミルキーっ子」だったそうです。そして1981年にシングル「少女A」のヒットで脚光を浴びました。


その後、活動はCM、ドラマ、コンサートと多岐にわたり、女優としても高い評価を得ています。1983年「セカンド・ラブ」が大ヒットします。その後。「ミ・アモーレ」「DESIRE」で2年連続レコード大賞を受賞し、押しも押されもしない大歌手の仲間入りしました。


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| 日本の歌姫 | 15:50 | - | - |

中島みゆき

 歌姫といえば中島みゆきを挙げないわけにはいかないでしょう。

中島みゆきは独特のメロデイー、歌唱力で多くの固定ファンを持つ日本を代表するシンガーソングライターです。

1975年「アザミ嬢のララバイ」でデビューしています。同年に「時代」で世界歌謡祭グランプリを受賞しました。

中島みゆきのすごいところはコンスタントにヒット曲を出していることです。固定ファンが多いので、ことさら大衆受けするヒットを狙う必要もないし、狙ってもいないのでしょうが、それでもヒットしてしまうところがすごいのです。


「わかれうた」(1970年代)、「悪女」(1980年代)、「空と君のあいだに」「旅人のうた」(1990年代)、「地上の星」(2000年代)と、何と40年に渡ってオリコンチャートのシングル部門で第1位を獲得しています。

中でも200年7月にリリースした「地上の星」は長期セールスとなり、連続110週チャートインという驚異的な記録を打ち立てました。これは日本記録となり130周年目に首位獲得、その後もチャートインを次々と続け日本記録を更新しました。

本人だけでなく他の歌手へ楽曲提供していることもよく知られています。研ナオコ、小柳ルミ子、郷ひろみ、柏原芳恵、前川清、薬師丸ひろ子、工藤静香、森山良子、吉田拓郎、小林幸子、柴咲コウ、華原朋美など数え上げたらきりのないとても多くの楽曲を提供しています。
曲名を聞くと、
「えっ、それも中島みゆき?」
って、思ってしまいます。本当に才能にあふれています。

このように長く第一線で活躍していく活力の源はいったい何なのでしょう。一説によれば野菜不足にならないように食生活に気を付けているのではないかということですが、スカルプDレディースでヘアーケアを怠らない精神的若さもエネルギーなのでしょう。

| 日本の歌姫 | 02:34 | - | - |

平成の歌姫 浜崎あゆみ

現代の歌姫といえば誰でしょうか?
人それぞれ様々な人物が思い浮かぶかもしれませんし、一人だけに限定できないという人も多いでしょう。
そこで、今回はそんな中でも平成の歌姫のひとりにあげてもいいのではないか、と思われる浜崎あゆみについて取り上げてみたいと思います。

浜崎あゆみは何といってもレコード大賞4回連続受賞をしており、回数だけでも唯一の記録で、これを無視した歌謡評論は成り立たたないと言えます。レコード大賞という企画が今後どう変わろうとも破れない記録なのではないかとさえ思えるのです。
人気歌手がうつろいやすかった2000年代でトップ歌手の地位をこれだけ永く続けた歌手は浜崎あゆみ以外にはいなかったわけです。

浜崎あゆみは、1978年10月2日生まれの歌手です。出身は福岡県福岡市。愛称は「あゆ」で、血液型はA型です。犬好きであることが有名でチワワやミニチュアダックスフンドを飼っているそうです。

浜崎あゆみは曲は作っていませんが、リリースした曲の作詞をほとんど自分で行っているのが特徴で、時代にのるセンスのよさを感じます。作詞をほかの作詞家に任せたのではこのような連続ヒットは生まれなかったのではないでしょうか。

浜崎あゆみの芸能界デビューは10代の頃で、福岡のモデル事務所に所属後、東京の大手芸能プロダクションにスカウトされます。歌手デビューは1998年「poker face」でした。

その後CM曲を歌うなどで注目が集まり1999年ファーストアルバム「A Song for××」でオリコンチャート1位を獲得します。

その後紅白歌合戦出場を何度も果たし、冒頭に示したように数々の音楽賞の受賞、そしてCDシングル、アルバム共に首位の連続獲得、総売り上げ2000万枚突破などの記録を持っています。

これだけ活躍した歌手だけに、今後の動向も注目され、歌謡界においては気になる存在であるといえます。

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| 日本の歌姫 | 20:08 | - | - |

平成の歌姫、宇多田ヒカル

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 平成の時代に突如現れた歌姫、宇多田ヒカル。
時代の評価をまだ受けていない記憶に新しい人物に歌姫の称号を与えていいのか、ちょっと疑問にも思いますが、それだけの実績と才能を持ち備えた歌手と言えそうです。

宇多田ヒカルは1983年1月19日、アメリカ合衆国ニューヨークで生まれました。デビューしたとき、歌手、藤圭子の娘であることはすぐに広まりました。

愛称はヒッキー。身長158cm、血液型はA型。コロンビア大学を中退しています。尊敬する歌手はフレディ・マーキュリーだそうです。

宇多田ヒカルは歌う曲はすべて自分の作曲によるもので、歌手というよりシンガーソングライターの方がふさわしいといえるかもしれません。

宇多田ヒカルのデビュー曲といえば「Automatic」。
これももちろん、宇多田ヒカル自身の作品で、彼女の作曲の才能を世間に認識せしめるに十分の作品でした。

作品としては自身の作品としても歌謡界全体の中でも、このデビュー曲「Automatic」が群を抜いていますが、新人のデビュー曲ということ、ヒット時期が年をまたいだということもあって、その年の音楽賞受賞の面では過少評価されたきらいがあるようです。

しかし、次のシングル曲「FirstLove」が爆発。アルバムで800万枚を売るという不世出の大記録を打ち立て、宇多田ヒカルはその歌謡界での地位を不動のものにしました。

その後もアイドル歌手のようなシングルの乱発はせず、マイペースで曲を出しています。平成の歌姫、宇多田ヒカルの今後の活躍が期待されます。

 


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| 日本の歌姫 | 23:01 | - | - |

昭和の歌姫「美空ひばり」

昭和の歌姫と言えば、美空ひばり。
彼女を「昭和の歌姫」とするのは、幅広い世代に納得のいく事ではないかと思われます。
美空ひばり(1937年〜1989年)は横浜市出身、本名、加藤和枝。昭和の時代に歌手としてそして女優としても大活躍をしました。
歌手としての初舞台は1945年、8歳の時で終戦間もない頃でした。
その後劇場の前座歌手となり一行と地方巡業していましたが、そんな中、1948年、才能を見込まれ川田一座に参加します。
そして1949年には東横映画「喉自慢狂時代」で映画初主演を果たし、この映画でブギウギを歌い、また同年に松竹「踊る竜宮城」で主題歌を歌い、歌手として正式にレコードデビューしました。
美空ひばりが歌手としての登竜門とも言うべき紅白歌合戦に初出場したのは1954年で、歌手、そして銀幕のスターとして大活躍します。
1958年ひばりプロダクション設立、1960年日本レコード大賞を受賞。
そして押しも押されもしない歌手としての地位を築いていた1989年、この年、「川の流れのように」が発売されますが、振り返ってみればこのころ美空ひばりは病魔と闘っている真っ最中でした。
同年6月に52歳で亡くなります。
レコーディング曲1500、オリジナル楽曲517曲、数々の映画に出演した生涯でした。
その死後も美空ひばりの人気は衰えず、遺影碑には毎年約30万人もの人々が訪れるといいます。
近年でもその歌を収めたベスト版や復刻版などが数多くリリースされており、その生涯の映画化、記念切手や写真集など幅広く発表されています。

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| 日本の歌姫 | 01:52 | - | - |

歌姫 テレサ・テン

みなさんはテレサ・テンという名前を聞いたことがあるでしょうか?
若い人は知らないかもしれませんね。

アジアの歌姫テレサ・テンは台湾を代表する歌手で、1953年1月29日生まれ、そして1995年5月8日に亡くなりました。


日本でのデビューは1973年で、デビュー2作目「空港」がヒットし、注目されました。
その後1984年「つぐない」、「愛人」、「時の流れに身をまかせ」などが大ヒットし数々の賞を受賞しました。

日本では最初のヒット曲「空港」の作曲が演歌の大御所猪俣公章だったので演歌イメージの強い歌手ですが、その後はむしろ演歌歌手のイメージは残っていません。
実際、多彩なジャンルの曲を歌っており、5ヶ国語ほどに堪能であったといわれ、才能豊かな人物でありました。


1987年には日本から香港に移住し、歌手活動の中心はほとんどが日本になりました。1990年パリに居住。天安門事件反対集会に参加したり、亡命した民主化活動家と交流を持ったり、何かと話題になりました。

世界を舞台に活躍したため、時として在住場所が分からず、人気絶頂期にも死亡説が出たりしました。

1994年、最後の日本でのテレビ出演はNHK「歌謡チャリティーコンサート」となり、1995年にタイ・チェンマイのホテルで発作のため亡くなりました。

突然の死、発見された状態などがなぞにつつまれていたため、歌を武器に世界を股にかけたスパイだったのではないかといううわさもまことしやかにささやかれました。
スターは神秘的にしたいファンの妄想でしょうか・・・

主なヒット曲は「時の流れに身をまかせ」、「つぐない」、「空港」、「愛人」、「別れの予感」などで、よく知られた曲であり、現在もカラオケなどでも人気ナンバーとなっています。

昭和30年代の音楽

現代史を振りかって振り返ってみると、昭和という時代は激動の時代でした。

昭和30年代は敗戦から立ち上がって、発展への道を歩き始めた時期でそこには未来に対する夢がありました。

昭和30年代、人びとの娯楽といえば何だったでしょうか?
色々なものが思い浮かぶと思いますが、音楽は人々の活力の源になっていたのではないでしょうか。

昭和の音楽シーンはいったいどの様なものだったのでしょうか?
昭和の音楽を懐かしむCDアルバムは数々発売されていますが、その中でも
「昭和歌謡歌合戦 昭和30年代編」、「年代別流行歌〜昭和30年代〜」などを見てみると、次のような楽曲が並びます。


「ここに幸あり」(大津美子)
「倖はここに」(大橋節夫とハニー・アイランダーズ)
「だから云ったじゃないの」(松山恵子)
「黒い花びら」(水原弘)
「南国土佐を後にして」(ペギー葉山)
「月の法善寺横町」(藤島)
「ラストダンスは私に」(越路吹雪)
「あいつ」(旗照夫)、
「アカシアの雨がやむときに」(西田佐知子)
「はたちの詩集」(白根一男)
「別れの一本杉」(春日八郎)
「浅草姉妹」(こまどり姉妹)
「ここに幸あり」(美空ひばり)
「北帰行」(小林旭)
「東京のバスガール」(初代コロムビア・ローズ)
「からたち日記」(島倉千代子)
「王将」(村田英雄)
「人生劇場」(村田英雄)
「なみだ船」(北島三郎)
「出世街道」(畠山みどり)
「高校三年生」(舟木一夫)
「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)
「青春サイクリング」(小坂一也)
「東京だヨおっ母さん」(島倉千代子)
「僕は泣いちっち」(守屋浩)

どうですか?
どれだけ知っていましたか?
50代以上の人は懐かしくて、幼かった当時の自分がよみがえってくるのではないでしょうか。

昭和30年代の魅力

最近、テレビドラマで「歌姫」が放映されていますが、この舞台は昭和30年代です。

昭和を懐かしむ映画やドラマ、施設などが数多く見られるようになりましたが、その中でも昭和30年代は、よく登場する年代と言えます。

昭和30年代という時代、50年も昔ですが振り返ってみると、とても懐かしく、魅力のある時代でした。
不思議なことにその時代を生きていない人間にとっても懐かしいく感じるんだそうです。

昭和の時代を懐かしむ事のできるドラマは数多くありますが、その代表としては「三丁目の夕日」、「フラガール」、「麻雀放浪記」、「メトロに乗って」などがあげられます。

特に「三丁目の夕日」は「ALWAYS三丁目の夕日」「続・ALWAYS三丁目の夕日」と映画化されていますが、実にうまく昭和30年代の雰囲気が出ています。

テレビでも放映されてくると思いますので、ぜひ昭和30年代を知らない若い人にも見て欲しいなと思います。


昭和30年代が今でも魅力的に見えるのは、この時代は食べるのにも精一杯だった昭和20年代と異なり、貧しくはあったが人々が夢や希望を持ちはじめたた時代だったからなのではないかと思います。

昭和30年代の風物詩には、路面電車やオート三輪、リヤカー、モノクロテレビ、ダイヤル式電話、ちゃぶ台、銭湯、木造校舎、レコード、駄菓子屋、扇風機、フラフープなど昭和の生活を思い起こさせる物は数多くあります。

中には現代もまだまだ活躍している物もあるかもしれません。

この魅力ある昭和30年代の歌姫は誰だったのか、それは次回のお楽しみ、ということにしましょう。

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